名古屋鉄道 舞木検査場  2004年8月10日(火)

豊橋グランドホテル…豊橋駅―(名古屋鉄道)―名電山中駅…(20)…舞木検査場取材…(20)…名電山中駅―(名古屋鉄道)―豊橋駅




 名古屋鉄道の舞木検査場を取材しました。舞木検査場は、愛知県岡崎市、名電山中駅から歩いて20分ほどの丘の上にあります。




 敷地面積46000u、年間450両の電車の重要部検査や全般検査を行っています。

 


 名鉄3400系電車を見学しました。3400系は、1937(昭和12)年に名古屋鉄道に導入された元特急形車両です。名鉄の1500V区間用吊り掛け駆動車両のうち、自動進段制御器を搭載するAL車です
 


 名鉄では、モ800形や3400系など間接自動加速制御の吊り掛け駆動車をALとよんでいました。本来、ALとは「Automatic accelerationLine voltage」(自動進段・架線電圧電源式)を意味します。名鉄では自動進段(自動負荷制御)を意味する「Automatic Load control」という意味合いでAL車とよんでいました。

 


 1980後半、国鉄分割民営化で発足したJR東海が東海道本線の輸送力を増強し始めました。名鉄は、それに対抗し新型車両を投入し、旧型車両の入れ替えを始めました。3400系は、デザインが優れているなど名鉄史上に残る名車であるとされていました。

 


 最も状態の良かった3403編成が2両編成化、モ3401とク2401に改番され、動態保存車両として使用されていました。鉄道研究部は、1995年4月に写真撮影に行きました。

 


 当初はスカーレット塗装でしたが、1993に新製当初と同じ緑の濃淡に変更されました。1994年には冷房装置が取り付けられました。3400系の動態保存車両としての位置付けを考慮し、室外機を床下に、関連機器を車内に搭載し、外観の変化を最小限にとどめました。

 


 3400系は、2001年9末に定期運用から離脱しました。車体の老朽化、保守部品の調達が難しい、ブレーキシステムが旧式であるためでした。その後犬山検査場にて留置されて時々団体列車に使われました。2002年8月に廃車となり、舞木検査場にて保管されていました。

 


 キハ30形 1995年に、キハ10形から置き換えられるために製造されました。このうち八百津線への割り当ては、それまでのキハ10形3両から2両となりました。このため広見線の明智駅−御嵩駅間でのレールバスの運行はなくなり、電車による運行に戻されました。2001年に八百津線が廃止され、全車が三河線に移されました。2004年には三河線の末端区間が廃止され、キハ30形も廃車となり、キハ20形同様ミャンマー鉄道省へ譲渡される事となりました。

 


 試運転線にある定期検査を終えた7000系パノラマカーです。1961年に日本車輌製造で製造され、名古屋本線特急に投入された電車です。1960年代に名鉄沿線でも広がりつつあったモータリゼーションへの対策として、乗客を誘致するために製作された車両です。

 


 7000系は、運転室を前面上部に上げ、通常の鉄道車両で乗務員室が位置する部分に低床の展望室を配置しました。衝突事故から展望室の乗客を守るため、油圧式ダンパを標識灯の横に設置しました。

 


 当初、客室内に運転室への出入りを設ける構想であったが、展望を妨げるとの理由から、旅客用ドアと展望窓との間の外部にはしごを設置し、出入りをする方式が採用されました。

 


 この展望車の構想は、当時の名鉄幹部がイタリア国鉄を視察した際に特急「セッテベロ」に当てられていたETR300形を参考に考えられたと言われています。1954年には、7000系の図面が出来ていました。しかし、固定ガラス張りとなる展望室内には冷暖房が必要なため、当時高性能車に全電動車方式の冷暖房器を搭載する見通しが立たず、車両案が保留となっていました。

 


 その後、5500を製造する時に機器類を可能な限り小型化し、日本国内で初めて全電動車の車両冷房を実現させました。これにより、展望室部分には室内最前席の前のキャビネット内に床置き式の冷房装置を設置し、冷房車を実現しました。

 


 フロントアイ 前頭部中央の窓の上にスポットライトの様なものが、斜め下を向いて設置されています。発車時に車両直前の安全確認をするための装置です。広角凸レンズを用いて運転席から車両直前の10mが見えるようになっています。当時、支線では多かった停止位置の直前にある構内踏切の安全を確認するためのものです。また、犬山橋では併走区間を運転するため、運転室が2階にあることで死角ができ、当時の運輸省から許可がおりなかったためでもある。

 


 高所にある運転台とは別個に車掌台と車掌扉を先頭車の後位車端に設けました。ここには跳ね上げ式の補助席が設置されており、車掌台として使用しない時は着席することができます。

 


 1988年に1000系「パノラマSuperが登場するまでの名鉄を代表する特急車両でした。1999年までは支線区への直通列車として特急列車にも使用されていました。

 


 入場検査ピットです。ここで、検査する車体の全体概要を調査します。

 


 車体天井クレーンに吊り上げられた特急車ク1600形です。1999年に、特急指定席車の一部に使用されていた7000系白帯車の置き換えを目的として、名鉄に導入されました。先頭車の前面下部には1000系と同じく「パノラマSuper」の愛称ロゴがついています。

 


 先頭部は貫通式となっていて、自動幌連結装置を設置し2本の編成を連結して6両編成で運転する時でも車両間の自由な行き来が可能とする予定でした。

 


 6500系  1984年に6000系の発展型として、界磁チョッパ・回生ブレーキを採用した省エネルギー車両として名鉄に導入されました。正面を非貫通型としてスタイルを一新し、扉の位置を先頭車と中間車を同一にして整列乗車に対応しました。片側3扉のセミクロスシート車です、6000系のシートよりも大型化し居住性の向上を図りました。

 


 


 車体作業所にある1380系 もとはパノラマsuperの一般車です。 特別車の1030系2両との6両組成でした。2002年9月26日に特急として走行していた時、奥田駅と大里駅の間にある踏切付近で普通乗用車と衝突しました。踏切内で脱輪した乗用車が、線路上を走行したことにより、列車が乗用車に追突したという事故でした。

 


 この事故で、特別車となる先頭2両が廃車となりました。残る普通車4両は、赤一色の一般車となり、4両編成で新たに運用されることとなりました。

 


 パンタ・クーラー作業所です。

 


 鉄研部員達は、念願の名鉄7000系パノラマカーや3400系流線型の運転室を見学できて、たいへん喜びました。

 


 今日は、名古屋鉄道舞木検査場の方々が、電車の検査の手順と検査場の役割について、詳しく案内して下さりました。おかげで有意義な取材が出来ました。私たちは、名電山中駅で名鉄電車の写真を撮り、豊橋鉄道の赤岩口車両基地を目指しました。